新刊レビュー

『月』辺見庸著 社会の欺瞞をさらけ出す

2018年12月21日

 

 2016年に相模原市の「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った相模原障害者施設殺傷事件。発生当初の衝撃が消えたわけではない。しかし、事件の本質を見るのはあまりにしんどくて、できれば直視したくないという本音が私にはある。作家の辺見庸が、この事件から着想して書いた小説『月』は、そんな甘っちょろい私のような人間を打ちのめす。忘れるな、考えろと迫ってくる。

 語り手は園の入所者、きーちゃん。目が見えず、しゃべれず、歩くこともできない重度障害者だ。きーちゃんの分身のような存在、あかぎあかえの視点で物語が進行する場面もある。

 冒頭から、きーちゃんは自問自答している。自分は「なぜ、在るのか」「なんのために生まれてきたのか」と。

 4章では、きーちゃんの痛みについて書かれている。切ない。あまりに切ない。

「痛い。とりあえずじっさいの痛みに近似したことばで、痛みを痛むほかない。腕がねじれる。ねじられる。へし折られる。ひっぱられる。(略)絶叫しようにも声がでない。よしんばでたとしても、わたしの声はどんなばあいも、『奇声』でしかない。そうとしかうけとめられない」

 きーちゃんは痛いということを表現することができないので、ただひたすら自らの痛みを感じている。全存在をかけて痛んでいる。

 そんなきーちゃんの日常に、さとくんが登場する。園の職員として。笑顔で。鼻唄を歌って。時々話しかけてくる。「いったい、なにから生まれてきたんだい? なんのために?」。きーちゃんは答えることができない。

 さとくんはしかし、介護がうまい。きーちゃんの便を、見事な手つきで掻きだしてくれるし、いろんな昔話を上手に朗読してくれる。きーちゃんはさとくんに好感を持っている。

 しかし、さとくんは園を辞めてしまう。「ひととはなにか」を考え、「心失者」を殺すことを決意する。それは社会のためなので、さとくんはこう言う。「ぼく、がんばります」

 さとくんが、あかぎあかえを相手に、自身がこれから行おうとしている殺戮の正当性を力説する場面がある。「罪と罰」のラスコーリニコフのように。

 辺見庸は、時にきーちゃんやあかぎあかえの目で事件の実相を幻視し、時にさとくんの目でこの社会に巣食う差別や排除、優生思想を告発する。きれいごとで塗り固められた社会の表層をべりべりとはぎ取り、現実から目を背けている私たちを揺さぶるのだ。

 日本の死刑制度も引きずり出される。「生きるに値しない命」があると断罪するこの制度を容認している欺瞞。そしていつのまにか、きーちゃんも、さとくんも、自分の中にいることに気付かされる。

 事件の夜、園に泊まっているわが子の名前を呼びながら「生きていてえ!」と母親が叫ぶ場面が出てきて、ハッとした。「生きていてほしい」「在り続けたい」というシンプルな欲求の力強さ。私たちはみな「在る」ことを許されている存在なのだ。死ぬまで生きる。そのことに健常者・障害者の区別はない。

(KADOKAWA 1700円+税)=田村文


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