新刊レビュー

『100億人のヨリコさん』似鳥鶏著 恐れることなど何もないホラー

2017年9月08日

 

 ホラー小説というものを、あまり読んだためしがない。お金や時間を使うのだから、なるべく穏やかな、ハッピーな使い方をしたいのだ。けれど何だろう、この本を選んでしまった理由は。まるでホラーっぽくない装丁、のんきな導入と登場人物たち。物語は、一人の貧乏学生が、いわくつきの学生寮へ、荷物を積み込んだリアカーを引きずっている描写から始まる。

 敷地内に学生寮はいくつかあって、彼はそれらの前を素通りしながら、ジャングルの奥地へ分け入る冒険家のように、その寮にたどり着く。おんぼろな外観、おかしな先輩たち。年齢も境遇も国境も超えた住人たちは、謎のキノコと謎の酒をかっ食らって、夜な夜な酔いどれる。

 夜になると「ヨリコさん」と呼ばれる幽霊が出る。天井に張り付いて、左手首から血を流し、こちらをまっすぐ見つめている。みんな、見たことが何度もある。けれどそれを受け入れている。主人公はそれでは気が済まない。「ヨリコさん」が出現する現象を、理論で解き明かそうと試みる。

 ここまでは、わりと見たことのある、学生寮モノ――というジャンルがあるのか知らないけれども――である。けれど「彼女が現れるのはどういう時か」「見える人と見えない人がいるのはなぜか」を解き明かすうち、ある推論が浮上する。こういう人が、こういう状態にある時に、「ヨリコさん」は現れる! おおーなるほど、そうかもしれない! と一同が納得の吐息を漏らしたその刹那、悲劇は起きる。

 血まみれの「ヨリコさん」が世界中に現れ、誰も彼もをパニックに陥れる。交通機関は混乱をきたし、都市機能は完全麻痺。寮生たちは知識と技能を駆使して、その「感染源」を割り出し、その地へ向かう。

 そこからの展開が、それはそれはホラーである。「ヨリコさん」の幻覚が、寮生ひとりひとりを襲う。幻覚だとわかっているのに恐怖心が全身を満たす。叫ぶ。暴れる。この幻覚は、「恐ろしい」「悲しい」感情とセットで人間に襲いかかるのだ。

 クライマックス。「ヨリコさん」とそれに伴う有象無象に心身を蝕まれながら、主人公たちは一縷の望みに賭ける。「恐ろしい」「悲しい」が世界を覆い尽くすなら、せめてほんの一点だけでも「楽しい」「幸せ」を撒き散らかそうと。いつもの酒盛りが始まって、いつものみんなでげらげら笑う。

 「恐ろしい」「悲しい」を「楽しい」「幸せ」で駆逐する方法について。本書の主軸はそこにある。そしてその一点について、ここに書かれていることは案外、ファンタジーではないのかもしれない。「恐ろしい」「悲しい」に飲まれてしまいそうな夜、この物語が、あなたを包んでくれますように。

(光文社 1500円+税)=小川志津子


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